人のお体に触れる仕事をしておりますと、言葉そのまま信じることが無駄なときが多いことに気が付きます。
私も、自分の考えを素直に言葉で表現しているかを聞かれると、どうだろうかと思います。
本音と建て前の2本柱で生きているのが普通です。
これを続けていくと、ほんとの自分の気持ちや辛さに気が付きにくくなる。
辛い、しんどい、今日の気分や体調を感じていても、休むこともできないですし、社会の中で許されないはず。
うまく乗り越えていけるときはよいですが。。
想いと行動がずれていくような生き方を続けると、体が壊れていくと思うのです。
本音の自分の声には、素直になってあげることが大事だと思います。
今は昔と違い、情報過多な時代です。
心がつかみにくくなるのです。
断捨離が流行るわけがわかります。
そうそう、お体の特徴から感じるのと、その方の言葉など、違うことなんてしょっちゅうです(゚∀゚)
真逆なこともあります。
言うてることと違いますやんと、心のなかで思います。
体に触れながらお伝えすると、やっと本音を聞けたりします。
それは、体の症状だったり、ココロの状態だったり、昔のことまでさかのぼってお話されたりです。
だから、体に触れられるって、心に触れられていることになるのだなと思います。
辛いんですと、やっと正直にお話してくださるのです。
言葉でここが辛いとかどうとか言われない方も、お体見てびっくりしたことが、何度もありました。
新規のお客様が多いときは特にそう。
リピーターのお客様が増えるに連れ、お体が緩みやすくなったり、セルフケアされたりの効果で、そこまでガツガツに張り詰めた方も少なくなりました。
ちゃんと記録していると、それがわかります。
定期的に人に体を見てもらうのって大事です。
そんなこと偉そうに言う私も、初めから本音をいえないこともすごく多いのです。
医療の現場では、昔の町医者はよくなんでも相談できたと聞きます。
だから家族のことも安心して診てもらえました。
看護の現場でも、患者さんが入院したときは、家族のことやいろいろなことをお聞きしていました。
そこに時間をかけることが大事だと教えられてきました。
患者さんをまるごと捉えて、その方の体だけでなく、いろいろな角度から人を観ることが看護の基本的な概念にありました。
言葉だけじゃない何かがあることは、みんなわかっていたように思います。
だから情報集め、良い看護ができるようにアセスメントする時間を無駄にせず生かしていけたのです。
時代が変わり、すごくここらへんがドライな距離感になってきたなと思います。
責任というものを問われ、評価をされる機会が増え、何か大事なものが抜け落ちていっているのは感じますが。。
あの頃のナースたちは熱かった(#^^#)
懐かしい昭和の時代、暑苦しいほどの情熱が、そこにはあった気がします。
オリーブ☆かとうゆか