この前テレビで横尾忠則さんの特集をみたのですが、素敵でした。
「87歳の現在地」というタイトル。
よくお客さんと話すことがあります。
「老いても若い気持ちでいたい」
「素敵な年寄になりたい」などなど。。
未来の自分のお手本になる人を見ると、パワーをもらえます。
横尾さんは今も現役で絵を描かれていました。
「孤独こそ最高の境地」
「五感はほぼ全滅ですが、身体的ハディキャップにより思いもしない絵が描けるという特典もあります」
そんな仕事一筋の感じかと思いきや、
「人生は暇つぶしに過ぎません。そんな豊潤な時間こそ人生の宝だと思っています」
と言われています。
仕事場に行ったら何もせず寝っ転がれていました。
「描こうという衝動に従い、ご飯を食べるように描く。目的はない。」
かっこいいですね。
デザイナーをされていた頃は、仕事と思ってしていたけれど、絵は「人生」であり生きるということとも言われています。
情熱もありながら、さらりと軽くて執着がないのですね。
「飽きたところでやーめた!って言ってそれを完成にする」ともいわれていました。
人間は完成を目指しながらも未完のまま死んでしまうとも言われます。
こんなに優れた作品を残されている方なのに、完成にこだわらないのですね。
内面が空っぽでいることを、いろんなことが吸収できていいとも。
頭でっかちでいるなということでしょうか?
感性が大事。
仕事についても、「シナリオ通りに作ったものには作る側の安心感があるけれども、冒険心がない、思考の迷路みたいにあがきなができたものは面白い」
ほんとうに、そうですよね。
安心感てなんだろうと考えてしまいました。
面白いって、すごいことなんだなと思います。
他にも「死」についても言われています。
戦争中の経験から、「肉体の中に全部それが記憶されている、これが作品の原点かな」
「こちらの世界もあちらの世界も地続きです。僕は半ば死者の目でこの生者のいる現世を眺めています」
こんなふうに自分が87歳になったときに思えるでしょうか?
死生観と言われるものが、自分の中にないと言えませんね。
私達世代は人が死ぬ戦争を体験しておらず、どこかフワフワしているように思います。
「死は一つのサプライズなエンターテイメントかもしれません」
ここまで思えたら、怖いものなしですよね。
現世の生きざまが完成されているから、言える言葉かなと思います。
「今まで何度も分かれ道があった、
そのたびに、逆らうことなく進んできた。
運命を受け入れるのはとても怖いことだけど、受け入れることで開かれる道がある」
そのようなことを言われていました。
その瞬間瞬間の選択があって、自分で決められない道もあります。
それを受け入れる凄さですね。
横尾さんの言葉を聞いていたら、「受け入れる」この言葉に深いメッセージを感じます。
安心や安定を求めることは、不安があるからですが、逆に不安の中に淡々と身を任せて、自分の感性に従い進んでいくと、後悔のない人生を歩くことができるのかもしれません。
怖ささえも味方にしてしまっている感じ。
達人の域ですね。
ですが凡人の私にも少し勇気をもらいました。
横尾さんのありのままの姿を見せていただいて、すごい人でもみんな同じなんだな。
老いるとハンディキャップだらけになりますが、人は考え方でなんとでもなるとも教えてくれました。
人生の大先輩の言葉は力強いですね(゚∀゚)
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