セラピストの学校に行っていた頃、課題を提出するのにモデルさんを探していました。
その頃にマッサージさせていただいた方の一人で、Kさんといいました。
持病があり、ある方の紹介で私の自宅へ通ってくださいました。
電車で1時間以上もかかり、駅から徒歩20分の自宅まで。
お辛い体を抱えながら、毎週通ってくださいました。
経験がほとんどない卒業したての私のマッサージを受け、「全身の血液が入れ替わったかのように楽」
こんな表現をされていました。
嬉しいどころか、そのときはどうしたらいいのだろう、この方の体に良いマッサージは、どうしたらいいのか。
迷いや自身のなさに、喜んでいただいたことなど響いてこない私でした。
Kさんは、線維筋痛症という病気でした。
そのお体は、皮膚が硬く張り詰めて、きついボディースーツを何枚も着ているような、全身どこを触ってもパンパンな状態だったことを覚えています。
「体の中にガラスの欠片が入っているような痛みです、ロキソニンが手放せません、」
痛みとの戦いの毎日です。
「病気の診断がつくまで、いくつもの病院に行って、やっとわかったときは嬉しかったんです」
この病気とわかるまで、何年もかかったというのです。
見た目は普通、この辛さが怠け病のように言われてきて辛かったと。。
この病気は難病指定にはなっていなくて、原因もわからず治療法はステロイド療法に鎮痛剤。
お薬の副作用で体重が増え、やる気がでない、体がだるいなど、痛みとともにいくつもの不快な症状とも戦っておられました。
日常生活は買い物もできず、ずっと家にいることがストレスであったとも思います。
こんなふうに書くと、弱々しいイメージですが、違うのです。
真逆でした。
太陽のように明るくて、お月様のように優しい女性という印象なのです。
Kさんは私より6歳上の女性。
姉御肌で母性的な方。
そして、普通の人よりパワフルでゴージャスなイメージだったのです。
私を西梅田までランチに連れて行ってくださいました。
美味しいおしゃれなものが大好きな方でした。
あのときは少し元気になられ、なんとか仕事ができそうだとも言われていたのです。
私もセラピストの学校を卒業し、それから普通に看護師の仕事をしていたのでお会いすることがなかったのですが、後にサロンオープンしたときに、お友達に付きそわれ、なんとか平野までお越しくださいました。
平野駅からサロンまでは歩いて3分ほどなのですが、とてもつらそうで、痛々しかったのを覚えています。
その時の私は、お店のことに必死で、Kさんにもそれが伝わっていたのかもしれません。お恥ずかしい限り。
あの頃の自分は穴があれば入りたいくらいです。
約14年前に出会い、最後に会ったのがサロンオープンした7年前。
そのKさんが永眠されたことを、この前知りました。
お一人で救急車を呼び、その日に亡くなられたということでした。
Kさんと出会った日のことや、話されていたこと、鮮明にたくさん思い出しました。
友人には病気のことや辛かったことを、全然お話しされていなかったようです。
それを聞き、私のような年下に、よくお話してくださったなと思います。
今振り返ると、ちゃんと受け止めていなかった自分がいて、ほんとうに自分が嫌になります。
自分のやることにただ必死だったのですね。
カルテを見ても、Kさんの状況がいっぱい書いてあります。
こんなに書いている人は、この人が最初で最後です。
悲痛な心の声がカルテに残されていました。
「私のことをわかってほしい」
誰にも言えない魂の叫びです。
そのメッセージを受け止めてもらうだけでよかったのですよね。
何もできなくても、効果を出せなくても、安心して体を任せられる。
それだけで十分だったのだなと思いました。
あの頃の私は少しでも病気が良くなるようなマッサージや効果を出せるような手技がないか、療法がないかに意識がいき、大事なものが抜け落ちてしまってたな。
Kさん、私のようなものを信じてくださり、お体を任せてくださり、ほんとうにありがとうございました。
Kさんの明るさと優しさ、そして強さを、
絶対に忘れませんからね。
オリーブ☆かとうゆか